沖縄・国際通りのお土産店の閉店について思うこと

雑談

私の地元の新聞紙沖縄タイムスに、こんな記事が載っていました。

那覇に住んでいるものにとって、国際通りは特別なもの。それで、この新聞記事について思うことを書きたいと思います。

国際通りって?

国際通り(こくさいとおり)は、那覇市の県庁北口交差点(パレットくもじ前交差点)から安里三叉路にかけての約1.6kmの通りの名称である。戦後の焼け野原から目覚しい発展を遂げたこと、長さがほぼ1マイルであることから、『奇跡の1マイル』とも呼ばれる。 また、一般的には「こくさいどおり」と呼ばれているが、通りの入り口には「こくさいとおり」と彫られた石碑がある。 沖縄県で最も賑やかな通りであり那覇最大の繁華街。「国際通り」の名の由来は、1948年に建設されたアーニーパイル国際劇場から。

Wikipedia より

沖縄の人ならいないでしょう、国際通りを知らない人は。

国際通りは戦後発展した通りでした。戦前の国際通り周辺は、湿地帯や畑だったそうです。

当時の那覇の中心地は、久米や辻でした。それが戦争に負け、久米や辻と言った土地がアメリカ軍に接収されました。そのため、住む場所を失った人たちが国際通り周辺に移り住んだと言われています。

人が集まればそこにモノや金が集まってきます。闇市ができました。実はあの牧志公設市場は元は闇市だったんですね。それが今や観光スポットになるんだから、何が起こるかわかりませんね。ちなみに牧志公設市場は、新しく立て直すため取り壊されましたが、近くに仮設の市場ができてます。

今でこそ観光客向けのお土産品店と飲食店しかありませんが、昔は百貨店や映画館が複数あり地元の人もたくさん遊びに行く場所でした。

私が中学の時に、国際通りに遊びに行くことをみんな「街に行く」と言っていました。私も友達と映画を見に行ったり、洋服買いに行ってましたね。

それが、郊外に大きなショッピングセンターが出来はじめると、一気に国際通りはシャッター街になってしまいました。

沖縄の場合、基地の返還によって広大な土地が返還されることがよくあり、そこに大きなショッピングセンターが誕生するんですよ。

那覇の郊外の解放された土地にジャスコができ、北谷の解放された土地に映画館ができたのきっかけに、国際通りの百貨店や映画館が軒並み潰れていったのを記憶しています。

国際通り観光の街に生まれ変わる

そんなシャッター街と化した国際通りだったんですけど、その空き物件に観光客向けのお土産品店が入り始めました。観光客も増え始め一気に観光の街になっていきました。

その後、沖縄ブームが始まり、県外からの観光客も増えていきました。しかし、国際通りにあるお土産品店や飲食店もそこまで儲かっている感じではなく、厳しい経営をしているところが多かったと感じました。

そして近年、台湾、中国や韓国の観光客が増え始めました。この海外からの観光客が爆買いするので、一気に好景気がやってきました。まさに、バブルでした。

私が公設市場の2階で食事をしているときに、見た光景なんですが、外国からの観光客が1階の鮮魚店で魚を購入し、魚を船盛にして注文していました。

それも1組2組でなく、ほとんどの外国人観光客が頼むので、エレベーターから何隻も船が就航していくんですね。圧巻の光景でした(笑)

そんな中なので、700円くらいの安い食事しか注文できない貧乏人の私には、居心地の悪い場所になっていました。気にしなければいいだけの話なんですけどね・・。

そんな感じで国際通りは、観光の街に・・・どちらかというとアジアからの観光客向けの街に変わっていきました。

お土産品店閉店について思うこと

新型コロナの影響で沖縄の観光業は大ピンチです。その中で1番体力がない個人営業のお土産品店が、閉店になっていってるのではないでしょうか?

沖縄タイムの記事の中で「あまりにも観光に依存している。観光客と共に、地元の人もにぎわう場に変わることが理想だ」との声がありますが、元々国際通りの生き残る道は観光以外になかったと思います。

観光に依存しすぎて、当たり前なんです。ですので、外国人観光客がたくさん来ているときに、なぜ不測の事態に備え、現金貯めてなかったんですかね。ちょっと前に、9.11の時やサーズがはやった時も観光客が一時的に減って、観光業がダメージを受けたことがあったのに・・。歴史に学ばなかったんですかね?

経営をしたこともないお前に何がわかるか!とお叱りを受けそうですが、閉店してないお店もあるのでそういったお店は、備えがあったんでしょう。

要するに自己責任なんですよ。私たち就職氷河期世代がよく言われる自己責任なんです。ですので仕方がない。諦めが肝心。

ただ、何度でもやり直しはききます。お土産品店は諦めても、また違う道はきっと見つかります。これまでの知識、経験などが生かせる事業が見つかると思うので、今後も頑張ってほしいと思います。

雑談
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就職氷河期世代の人生再出発

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